朝日の中を、渡り鳥が湖の向こうへ飛んでいきました。卒業式にふさわしい快晴の朝です。
ご来賓からお祝いの言葉の後、卒業生と在校生が対面して呼びかけの開始です。始めは在校生から。お世話になった場面と感謝、6年生から学び引き継ぐことを、声を合わせて伝えました。
卒業生からは6年間の思い出と、学んだことが在校生に伝えられます。
担任の先生に代表が感謝状を渡すサプライズもありました。
最後に校歌を卒業生、在校生、保護者、来賓が互いに向き合って高らかに歌いました。その後、6年生が一人ずつ体育館を去り、式を終えました。
卒業生は最後まで旅立ちの喜びの中にも別れの悲しみをたたえ、整然と行動していました。また在校生も卒業生をしっかり見つめ、卒業生への感謝を伝えることができました。
今年は、後半の式場構成を対面式にしたほか、司会やピアノ、案内などの運営を5年生が担ったり、式当日まで呼びかけの予行練習は行わないなど子どもたちの思い出に残る式になるよう工夫をしてきましたが、卒業生も在校生もよく応えてくれました。
式を終え、在校生のアーチをくぐった卒業生は、保護者の方々とともに、いつまでも別れを惜しみました。
最後に、私の式辞を紹介いたします。
先週までの雪がうそのように、今日は暖かな日差しが校舎を覆っています。本日、八郎潟小学校の卒業式を挙行するにあたり、畠山町長様をはじめ、たくさんのご来賓、保護者の皆様にご臨席いただきましたことに、まずもってお礼申し上げます。
六年生のみなさん、卒業おめでとう。39回目の卒業式を迎える本校で、卒業生が最も多かったのは昭和63年の128名でした。今年の37名の皆さんは、長い歴史の中で、最も人数の少ない学年です。また、これまでで初めての学年1学級の卒業生でもあります。人数の少ないよさもありますが、みなさんが6年間、1度のクラス替えもなく同じメンバーで学習や生活をすることに、保護者や地域の方々もみなさんの成長を大変心配をしていたとうかがっています。
しかし、みなさんはそうした心配などを吹き飛ばすかのように、学習でもしっかりと力をつけ、様々な活動でも見違えるように活躍してくれました。
新種目がたくさんあった運動会や、賽の神公園まで歩いたなべっこ遠足、吹雪の中で行ったソリ大会など、今年はたくさんの新しい行事がありました。また、いたずらをなくそうと決議した児童総会や八郎潟みらい学の発表会など、経験したことのない集会も開きました。そんなとき、皆さんは、少ない人数の中、全校の先頭に立って説明をしたり、縦割り班で、言うことを聞かない下級生をよくまとめてきました。
昨年12月、県の学力調査で、「学校や地域の自慢」を書く問題が出題されました。わたしはみなさんのテストを採点していて、次のような答案がたくさんあったことに胸があつくなりました。「この学校の自慢は、学年をこえて、全校がとてもなかがよいことです。また新しい行事がたくさんあることも自慢です。」
全校が互いに仲がよいのは、自然にそうなったわけではありません。みなさんが毎日低学年の教室に足を運んだり、我慢強く話をしたりして、努力を続けて来たからこのような学校になったのだと、わたしは改めて思います。そして、人数は最も少ないけれど、これまでのどの年よりも、新しいことにひるまずに挑戦してきた皆さんを、わたしは誇りに思います。
さて、いよいよみなさんは中学校へ旅立ちます。先日、校長室そうじに来たS君が、「この学校の屋上に上ってみたい。いつもと違うものが見られるかもしれない」と話してくれました。屋上にいかなくても、中学校の窓からは、小学校からは見えない、三倉鼻やその向こう白神山地の美しい山並みを見ることができます。もうすぐ春がやってきます。秋田県のある小説家は、八郎潟の春、三倉鼻の景色を「単調な色どりの湖に、少女の頭髪にかざったリボンのような風情」と表現しました。美しいふるさとの、新しい景色とともに始まる中学校生活の中で、皆さんが今持っている夢や希望もさらに広がり、輝きが増すことを祈っております。
最後になりました。保護者の皆様に、お祝いを申し上げます。この後、子どもたちは中学高校と思春期まっただ中に入ります。これからも子どもの自立のために、背中を押し、時には壁になりながら、子どもを見守ってくださるよう、よろしくお願いいたします。
それでは、卒業生の皆さんとの別れの時が近づいてきました。本校の学校目標である、目標を持ち、挑戦する心を忘れずに、これからも歩んでいくことを期待して、わたくしの話を終わります。
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